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2008年6月25日 (水)

シービスケット

シービスケット SEABISCUIT

上映時間 141分

製作国 アメリカ

初公開年月 2004/01/24

監督: ゲイリー・ロス 

原作: ローラ・ヒレンブランド 

『シービスケット あるアメリカ競走馬の伝説』(ソニーマガジンズ刊)

出演: トビー・マグワイア ジョニー・レッド・ポラード

ジェフ・ブリッジス チャールズ・ハワーズ

クリス・クーパー トム・スミス

    たいくつな日曜日の午後にぜひご覧あれ

パッケージで損をしている。いかにもまじめくさった退屈そうな感じがするではないか。ところが見てしまった。それは偶然でしかない。ところがドラマが始まるとスルスルとはまり込み、終わったときは脱力感が残るばかりだった。

といってもそんなに疲労したわけではない。山や谷というウエーブがあってけっこうのんびりもしている。トビー・マグワイアにはそんなオーラを持っている。彼の出演する映画はみな、どこかのどかだ。彼の出演する映画は安心してみていいと思う。

僕が生まれる20数年前のアメリカの話だ。金持ちになった男と、山で野宿していた変人と文学好きの天才ジョッキーがチームになって、アメリカの競馬界を席巻する。庶民の味方だというふれこみだ。どこがそうなのかは分からないが、馬によって救われるのは見ていて安心だ。ただ、そのわりには、馬を擬人化することもなく、まったくただの「馬」でしかない。日本なら馬の表情も描くのではないか。アメリカのベタつかない風土が軽くしている。日曜日の午後に見るのにうってつけである。

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2008年6月 4日 (水)

入門者、聖書解釈に挑戦 その17 ルカによる福音書

入門者、聖書解釈に挑戦 その17

    信じることで救われる

 ルカによる福音書より 6:17~6:19

6:17 彼は彼らと共に下りて行き,平らな所に立った。弟子たちからなる群衆,また,全ユダヤとエルサレム,およびテュロスとシドンの海岸から来たおびただしい数の人々が共にいた。彼らがやって来るのは,彼の話を聞くため,また自分たちの疾患をいやしてもらうためであった。 6:18 汚れた悪霊に悩まされている者たちもいたが,彼らはいやされた。 6:19 群衆はみな彼に触ろうとした。彼のもとから力が出て来て,彼らすべてをいやしたからである。
(電網聖書 http://www.cozoh.org/denmo/Luke.htm#C6V1 )

わたしがここで気になるのは、イエスよりも、12人の使徒たちよりも気になるのが、一般の人々の行動です。結論から申し上げますと、信じるということは正直になるということであり、大きな果実を得ることができるんだということです。
大勢の人々がイエスによって心や身体の病を癒してもらいたくて集まってきます。それも他の者を押しのけるように、われ先にイエスに近づこうとします。
イエスに触れて自分の抱えている悩みを一刻も早く消し去ろうと願っているのです。
前を振り返れば、イエスは様々な病を治しています。そのうわさを聞きつけて、人々は遠くからでも必死になってイエスの元にやってきたのです。
彼らは必死です。恥も外聞もありません。そして、自己チューであろうが、エゴイズムであろうが人を押しのけてイエスにすがりつきました。
彼らの病や悩みは、はたして癒されたのでしょうか? 
自己中心的な人間や自分勝手な人間たちだからけっして癒されることはない、と思いたいものです。
彼らはけして見捨てられることなく、一人残らず、充分に癒されたのです。難病の者も死の病にある者も、たちどころに癒されたのです。
なぜでしょうか?
それは、イエスという、人間の罪を一身に背負った神の子の前に立ったからです。
友人や親子、他人といった、人間たち同士が向き合った場合と違うのです。
人間同士なら自己チュー的人間やエゴイストたちは、はじき出され、あるいは罪の幻によって自らを責め、苦しむことになりましょう。
けれど、イエスを信じた人々はたとえ自己チュー的人間であっても救われるのです。
これを別の言い方をしますと、「イエスによって救われる」という言い方になるのが一般的な言い方でしょう。けれど、わたしは「イエスを心から信じたから救われたのだ」と思えるのです。
前の節では、12人の使徒たちが紹介されています。彼らはイエスに救われたと思いますか?
イエスのやり方に不安や不満を抱き、イスカリオテのユダだけでなく、12人の使徒ひとり残らず、イエスを裏切り、見捨てたのです。
もっとも、この使徒たちもやがては救われます。が、このようなインテリジェンスのある人たちとは違う一般の人々は単刀直入にイエスの力を信じたのです。
そんな人々だからこそ、それだけ大きな果実を手にすることができたのです。
現代は、ウソやサギが蔓延しています。なかなか率直に信用することができません。
また、誉められるとかえって不機嫌になる人がいます。
「ひょっとしてこのあとなにか落とし穴に誘い込まれるのではないか」と。
すぐに信じる人はバカ扱いされます。そしてバカは正直なのです。正直の喜べばいいのに、小利口な人はすぐに疑ってしまうのです。
「アーサー王伝説」にパルジファルという若者が登場します。彼は正直者なので、現代と同様、バカ扱いされます。正直とバカは同義なのです。けれど並みいる優れた騎士たちをしり目に、永遠の命を与えてくれるという聖杯を、このパルジファルが手にすることができたのでした。
ちなみに、バカの反対は知恵者です。知恵者を象徴する生物は何だと思いますか? それはヘビです。そして邪悪の象徴です。
トゲトゲしい現代に生きる私たちは、まず、人間を超越した神様を信じてみることから、人間同士の関係の修復を図っていったらよいのではないかと思うのです。
安心して信じられる神様、願いが聞き届けられる生き生きした神様を、ぜひ探してみてください。

それではお祈りいたします。みなさんもお手伝いしてください。

山よりも雲よりも、太陽よりも高い高いところにおられ、キリスト・イエスと結ばれた神様
あなたの偉大なお力の前にでは、何一つ隠し立てすることができません。
どうか、わたしたちが正直に勤勉に新しい一日を過ごせることができますように、高いところからお見守りください。
正直であるがゆえにいじめられている世界中の子どもたちの苦しみを取り除いていただけますように。
正直であるがゆえにいじめられ、自己チューとかヘンなヤツだとかレッテルを貼られ、学校に歩む足取りが重くなっている子どものおもりを取り払ってくださいますように。
子どもの苦しむ姿を見ていたたまれなくなっている親たちの重荷を肩代わりしてくださいますように。

このお祈りを、わが友イエスによってあなたの元に届けられますように アーメン

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新参教師   熊谷達也

    新参教師

熊谷達也
徳間書店
1600円
2006年1月31日初版

「問題小説」03年12月号~05年9月号まで2ヵ月おきに掲載、加筆訂正。

    エロすぎる大人もまともな子どもも避けた特殊世界の物語

教育モノ、学園モノはあまり興味がなくめったに読まないが、著者が隣町のような仙台市出身で、仙台の街が描写されていたので手に取ってみた。
学校ってどのように描かれているのか、興味がない、というより避けたいようなテーマであり、けれど同時に覗いてみたいステージだ。
「あんまし、重たくないといいけどなあ」
とかく学園モノとは荒唐無稽か生々しいものという偏見が当方にはある。
エイ!と気合を入れて読んでみた。やはり覗きがまさった。
ところがこの世界、推理仕立て、キャラの絶妙な配備もあって一気に読めた。
おもしろかった!
もちろん、物足りないところがある。なぜか、生徒たちとの絡みがほとんどないのだ。
だから、だから読めたのだろう。やはり作者の勝ちだ!
何がおもしろかったのか。同僚というか、赴任した中学校の職員室の教師どもの描写、学校の不思議な制度、習慣が良く描かれていたのだ。
「この人、よく取材しているけれど、ひょっとして情報提供者に教員がいるのかな」と思えるほどリアルなのだが、反面、学校の主人公ともいうべき生徒たちとの絡みが全然ないのだ。よい子ばかりのクラスをあてがわれたといって巧みに今どきの生徒の描写を避けたのは、情報提供者に10代の子を獲得できなかったからなのだろうか。
おかげで、この小説は「大人向け」になった。たしかに主人公は巨乳好きで風俗に出入りするのでは、子どもに読まれては困るだろう。そういえば掲載雑誌が「問題小説」だった。逆に言えば、そのわりには性描写はおとなしすぎるくらいだ。

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