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2008年7月26日 (土)

マルテの手記     リルケ

マルテの手記

著者:リルケ(ライナー・マリア・リルケ)
訳者:高安国世
出版社:講談社 文庫
発行:昭和46(1971)年11月15日第1刷
   昭和52(1977年)年1月20日第5刷

    レトリックの山

これは詩人のノートであり、詩人や詩の愛好者なら必読の文献である。日本でいうなら明治・大正に存命、活躍した詩人であるが、現代でもここに表現されているレトリックは参考になるはずだ。
都会に見かける通行人の奇行、よそ者にはまるで迷路に紛れ込んだかのような裏小路体験、精一杯身なりを整えて来たはずなのにそれでも見下したような態度をとる医者、これら書き出しの描写は花の都パリに限らず、東京へ上京したばかりの地方人にも思い当たることだろう。私もその点には共有できるものがある。
孤独な時空を経て、アパートにこもって書き綴った統合失調症気味の幻覚的な独白の山。しかしすばらしい比喩の連続には看過できない宝の山ともいえるのだ。
最初の100ページも読めば飽きてくる。あとは本書を常時携行して、数ページを時折り捲ってはリルケの世界を垣間見、堪能する、こんな感じで付き合うのがよろしいのではないだろうか。
本作品は一見すると自叙伝のような趣もあるが、リルケはプラハ生まれのドイツ系の人間であり、登場する一族はデンマークの伯爵家ということになっていて、フィクションである。

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2008年7月16日 (水)

鋼殻のレギオス   雨木シュウスケ

鋼殻のレギオス

雨木シュウスケ
富士見ファンタジア文庫
580円
平成18(2006)年3月25日初版発行
平成20(2008)年5月30日16版発行


     なぜ自分が? 苦悶するヒマさえ与えられない

 未来、人類は自傷行為によって大地を汚染してしまう。猛毒の汚染物質や、それを糧とする汚染獣の襲撃を避けるため、多足歩行する「自律型移動都市(レギオス)」に回避を任せている。そんな都市のひとつが舞台である。

 学園都市ツェルニは学生だけで運営されており、ウザイ?教師や大人は一人も登場しない。主人公のレイフォンが「お父さん」を回想するのみである。彼は孤児院育ち。「天剣授受者」の称号を持つ武芸の達人だ。だが、ツェルニでは正体を隠し、入隊させられた小隊での戦闘訓練では真価を発揮しない。隊長ニーナに激しく詰問される。

「おまえの強さならば、わたしよりももっと大きなことができたのではないのか?」

 ニーナの言葉によって、私たちもレイフォンが精神的に偉大な覚醒を成し遂げることを期待している自身に気づかされる。望んでもいない難題を突きつけられ、自由になりたいのに背負わされた重荷に戸惑うレイフォン。それは私たちの日常となんら変わりがない。アムロや碇シンジの両先輩も自分の意志とは関係なく、唐突に現実から任務を突きつけられてきたはずだ。レイフォンは「なぜ自分が?」と苦悶するヒマさえ与えられてはいないが、戦いは続く。

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2008年7月13日 (日)

千羽鶴     川端康成

千羽鶴・山の音

筑摩書房 現代日本名作選

川端康成

昭和27(1952)年9月25日発行
昭和27年11月5日第3版

200円

   欲情する名作「千羽鶴」

欲情した。エロ小説でないもので欲情したのは源氏物語のマンガ「あさきゆめみし」があったが、「千羽鶴」も負けずに欲情させてくれた。
ストーリーもおもしろい。川端の男女のあり方って現代の節操とは違っているんだろう。源氏物語に通じているところがあるようだ。「千羽鶴」においてもまたしても無節操な、あまりに不倫理な、そして奔放すぎる男女の濡れ場が散りばめられているが、具体的な描写は皆無である。普通の会話のやり取りで読者を欲情させるとは、その文章テクニックがスゴイ!
父は友人の未亡人と関係を結び、息子の菊冶がその未亡人を引き継ぐとは! ちょっと足りないと思われたこの未亡人母娘が、物語の終末に近づくにしたがって意外なほど存在感を増し、未亡人はついに「名品」と評価され、「差し上げるものは一流品でないと」といって未亡人よりいただいた二流半の茶碗を娘文子が菊治のお宅を訪問して割ってしまい、そして自らを絶対の存在に位置づけてしまうのだ。お茶の師匠であるちか子(これも父の愛人となっていた)のような厚かましい毒婦とはまるで違って、遠慮深く、駆け引きもなく、引っ込み思案のはずだった存在がである!。
これは源氏物語の宇治十帖の主人公級の浮舟を髣髴とさせるではないか!
「雪国」「山の音」にもあったが本編でも重複する説明箇所が見られたのは、短編を少しずつ繋いでいく書き方に由来するところがあったようだ。それが気になるといえば気になるが些細だ。
「山の音」「千羽鶴」を「雪国」の延長と定説のようにいわれているがそのわけは分からない。駒子、菊子、文子はそれぞれ芸者、嫁、父の愛人の娘である。この三人に共通するものは女であるということだけなのだ。むしろ島村、信吾、菊冶に共通しているところがあるのだろうか、これもありそうにないのだが・・・。

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2008年7月 7日 (月)

雪国    川端康成

雪国

川端康成

新潮社

新潮社文庫

昭和22(1947)年7月16日発行
昭和42年8月10日51刷改版
昭和45(1970)年9月20日59刷

   「雪国」エロス幻想

おもしろかった。「山の音」が最高傑作なら「雪国」はエンターテインメントの最高傑作だ。「山の音」を映画化すればまかり間違えばただのホームドラマになってしまいそうだが、「雪国」は映画化しても成功するだろう作品である。
びっしりと濃密な象徴的表現が書き込まれて読み進むのに難儀した。また味わった。それを支えたのがストーリーのおもしろさである。温泉地の芸者駒子というエネルギッシュなキャラクターはどんどん話を進めて読者を圧倒する。
島村と駒子との間に随所で成立している性的関係の表現を省略することによって逆説的に高められる官能的イメージ。直裁な愛情の爆裂を意図的にカットすることによって読者を迷わすことなくコースを導いていく。わかりました。ノーベル文学賞候補には始め谷崎潤一郎が挙げられていた。この谷崎を法然とするなら、川端こそ親鸞なのである。そしてやはり賞を逃した三島由紀夫は蓮如といえよう。エロス本願の大河は迸る愛欲の一滴一滴の集合なのだが、凡百の官能小説がこれでもかと過激な表現によってエロス浄土に導かれるものであるなら、ましてそれが隠されているものならかえって求めたくなるもので、読者は間違いなくエロスの浄土に導かれるというわけである。
小説とはストーリーの展開のみを追うのではなく、文章自体をも味わうのだということ、エロスの美を味わうことができた。

1968年ノーベル文学賞受賞

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2008年7月 2日 (水)

山の音  川端康成

      作品の随所にエロスの秘宝が配置されている

鷺沢萠を読み続けていたら急に川端康成を読みたくなった。そればかりではない。志賀直哉の「暗夜行路」が読みたくなった。ついでに「和解」。どれもよんでいない。
鷺沢ばかり読んでいるとどうしても喉が渇いてくるらしい。鷺沢の残す作品を後回しにして手に取ったのが川端康成の「山の音」。
川端は私が学生のころ、ノーベル賞を受賞して話題の人だったが、高校の授業で読んだ「伊豆の踊り子」で満足していた。
たまたま自宅の書棚に並んで目に付いた「山の音」。話題作の「雪国」よりもまず読んでみたかった。「山の音」ってなんだろうと思ったのだった。

長年の憧れの作品を手にして数ページめくってやや後悔の念が湧いてきた。話が進まないのだ。アクションがまったくない。これを映画にすれば、ホームドラマだ。そして、成瀬巳喜男監督の映画を思い出した。原節子が嫁の菊子を演じているが、あのまんまである。
けれどさらに読み進むと、やはり舐めてはいけなかった。相当スゴイ文豪の作品である。ホームドラマの原作程度で終わるものではなかった。
もの覚えの悪くなった老人尾形信吾を取り巻く家庭が舞台だが、家族に対して次第に露出するエロチックな視線描写が並みの文学を超越している。
修一(信吾の息子)が浮気をしていて相手にされない嫁菊子は、はっきりいって視線や気持ちで陵辱されているといっていい。また、子連れで出戻りの娘房子の身体への視線も相当にエロチックだ。
日常生活の描写のところどころに赤や青色の宝石が配置されているように、婉曲的で象徴的なエロス的表現が挿入されており、その秘宝に遭遇するたびに私は胸を高鳴らせてしまった。
「家族はエロスそのものだ」と某評論家がいっていたような気がするが、まさに本書はその文学的結晶といえる。
さて、「山の音」となんだったのだろう。なにかを象徴している音なのか。
山の音とは強風が樹木の枝を揺らす音ではない。山とは安定した家庭。そのどよめき。不気味で恐ろしげではあるが、山はどっしりとして動かない。そんな日常で最も恐ろしいものは何か。死である。老齢による死を目前にして、自分の幹から発生した子どもたちのなんと不安定なことか。自分もまた長年連れ添っている妻保子の姉にいまだに執着しているところがある。静かな晩年には程遠いのである。山から聞こえてきているようで、じつは足元の胎動する響きであったのだ。

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