映画 毛皮のエロス
毛皮のエロス/ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト
AN IMAGINARY PORTRAIT OF DIANE ARBUS
制作年:2006
女流カメラマン誕生秘話
なんて紛らわしい邦題だ。間違いではないが、そしてニコール・キッドマンが主演なのだから見当がつきそうなものだが、悲しい男の性、見てしまって後悔し、そして期待とは裏腹な新しい発見をする。
安穏な日常に飽き足らなくなったカメラマンの主婦にして毛皮商の両親を持つダイアン、じつはディアンと発音するのが正しいのだが、彼女は不思議な隣人に興味を持ちその世界にハマり込んでしまう。
ちなみにDIANEは、イギリス式に発音するとディアン、どういうわけかアメリカ式になるとダイアンとなる。モビールとモバイル、ビンディングとバインディングの違いみたいなもの(アルファベットのⅠの読み方で趣が変わるのはティーとチャイ、イランとアーリアンが代表格だろう)。
それはともかく平凡だが、ちょっとヘンな主婦にして二児の母は不思議世界にはまり込んでしまう。それはフリークの世界だ。これがなぜ強調されぬ! そのわけはいまだに障がい者がタブーだからだ。
隣人は多毛症という病におかされて全身毛だらけ。それを無知な人々はケダモノの業にとり憑かれた人間として好奇の目で見てしまう。
「エレファントマン」を思い出してしまうが、毛だらけで、ニコール・キッドマン扮するダイアンと並ぶとまるでディズニーの「美女と野獣」である。しかし、多毛人間に紹介される奇怪な人々が集結するシーンとなると往年のホラー映画「フリークス」さながらである。障がい者がフリークとされた時代である。そして容姿の奇怪な人々を受け入れない人々と魅了されてしまう人々がいることを、さりげなくこの映画は織り込んでいる。
彼女の両親、夫、長女・・・いってみれば世の中のマジョリティーだ。それにもめげず、彼女はどんどんマイノリティーの異世界に没していく。それだけのエロスなら物足りない。彼女は多毛男と同衾するまでに深みにはまってしまう。
あっさりこういってしまうとありきたりな不倫物語だが、彼女にとってはどうも不倫とは感じていないらしい。相手は夫に代わる男ではないのだ。夫にない男なのだ。もちろん多毛男のほうはそうではない。充分に野心的で嫉妬もする。夫の方にはまだ余裕がある。「飽きれるよ」という程度のダメージである。しかし多毛男には、自分を理解し受け入れてくれながらも永遠に自分のそばにはいてくれない女性ダイアンと、その夫に根深いねたみを抱いていたに違いない。ダイアンの出現によって彼の孤独は癒されるのだが。
「フランケンシュタイン」では、博士は自分の作った怪物が寂しがっているので女の怪物を作ったのだが、両者は結びつくはずがない。お互いに欲しいのは美なのだ。
多毛男も本当に欲しいのは同病の仲間ではなく、自分の醜怪さを受け入れてくれる「健全な」美女なのだ。
こうして思い入れのすれ違う男女二人は微妙に違和感を持ちながらも歩み寄り、女流カメラマンが誕生していくのである。
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