2009年10月 8日 (木)

サファイアブルーの夕暮れ

サファイアブルーの夕暮れ

作:エリザベス・パワー
訳;上村悦子

ハーレクイン・ロマンス
2000年6月20日発行
株式会社ハーレクイン
640円

ハーレクイン・ロマンスはいつ頃から書店に並ぶようになったのか、それはもう記憶にはないが、女性に特定されたジャンルということで見向きもしてこなかった。けれど、のぞき趣味で読むことにした。
エッチな小説かと期待していたら、残念ながら違った。けれど女性に尋ねると、女性には充分にエッチらしい。
アメリカ人女性がイギリスで気球に乗る冒険をしていたところ、墜落した。民家に。その民家はとてつもない富豪で、主は車椅子に乗ったイケメン。物語はそれぞれ気になるライバルを挟みながらも、濃密に感じるようなやりとりがあって、例のごとくやきもきさせる場面も用意してあってゴールインする。そのときはイケメンは自らの足で立てるようになっており、万事ハッピーエンド。性交シーンはほんのわずかだ。女性には男との濃密な駆け引きがエッチになるらしい。男には女性の裸の描写がないし、エクスタシーの具体的な描写がなく物足りないのだが、それでもやはり濃密さは感じられる。
何で読みたくなったか思い出した。新しい表現による新しい刺激が欲しかったんだ。
男向けのエッチ小説の大半は犯罪小説か、性器の描写にこだわりすぎたり、性器の挿入、精液の発射が大げさで、しらけてしまうのが多いのだ。
ハーレクインに近いのが、ひょっとすると団鬼六作品だったりして・・・。

また次のを読んでみよ。ハーレクインに壮年の男がハマッたりてか。

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2009年1月17日 (土)

酒とサイコロの日々    鷺沢萠

酒とサイコロの日々

鷺沢萠

新潮社 新潮文庫
平成15(1998)年3月1日発行

この作品は1993年10月 双葉社より刊行
1997年から98年 「週刊大衆」(双葉社)「酒とサイコロの日々」
        「近代麻雀」(竹書房)に「チョンボくんのこと」連載

   麻雀を知らなくてもガラの悪さに耐えられる人なら楽しめる活劇

驚いたのは、鷺沢萠が麻雀にハマっていたからではない。作中に頻繁に出てくる登場人物が解説を書いていたことだ。
安藤満、作中ではみちゅるくんは麻雀のプロであって文士ではなかったはず。麻雀を知らない私には、その道では有名人かもしれないが、あまりリアルではなかった。その方が、ドラマの終わったあと、解説者として登場するなんて「やっぱり実在してたんだぁ」と多少の衝撃があったのだ。このような方に作文させるなんて編集者も相当の豪腕とお見受けする。
その方をネットでサーチすると2004年3月27日にガンで死亡とのこと。1989年発病以後、闘病しながらの活躍だったという。そんな本物の雀士たちに取り巻かれて育てられていた鷺沢もみちゅるくんを追うように4月11日に首を吊ってしまった。悲しいことだ。博奕と酒に縋りつかねばならないほど、文筆という営為は辛く苦しく、そして孤独にさいなまれるものだったのだ。
それにしても、ガラの悪さ、活き活きとした描写はどうだ! 天より賦与された才能と、その採掘に命懸けだったサギサワの、読者には愉快な、彼女には修羅場が現出していて、私のような麻雀に無知な者にも充分に楽しめた!

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2009年1月11日 (日)

スリルはちょっぴりでいいの     真藤怜

「夜の職員室 女教師」

真藤怜

幻冬舎アウトロー文庫

平成17(2005)年610日初版

457円

シリーズ5冊目。真藤怜のデビューとなったシリーズである。

この作品への期待はもちろんHな世界に浸れるかどうかということである。頭がしびれるような気分にまでは引き入れられることはなかったが、ほのぼのとしたところまでは連れて行ってもらったような気がする。

個人的には男性作家の描くハードなこの手の分野は苦手だ。面白いとは感じられないのだ。たいがいが犯罪者が中心になるので、こちらは犯罪者に感情移入しなければならない。それが不愉快なのだ。

 それに対し、女性作家の場合は、現在のところ、犯罪者が中心になることはない。「犯罪者」というより暴力者というべきなのだろう。それは男の本能というものなのだろうか。

 私は男だが、犯罪的行為には共鳴できない。女性作家の場合は日常人の駆け引きが主となるのではないか。それで安心してHな世界に没入できるのである。

 さて、本作品では、犯罪の代わりの危うい仕掛けを次々と登場させてくれる。心地よい気分になれ、幸せな睡魔がそこには保証されるのである。

 職員室や保健室での性行為は不謹慎かもしれないが、犯罪ではない。この程度のスリリングさで十分と思うか、不足と思うか。性行為の描写もあまりグロテスクではない。それで十分と思うか、不足と思うか・・・。

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2009年1月 5日 (月)

みずうみ       川端康成

みずうみ

川端康成
新潮文庫
昭和35年(1960年)12月25日発行
平成4年(1992年)1月10日53刷
280円

昭和30年(1955年)4月新潮社より刊行
「みづうみ」

    悪魔のような天使

教科書に掲載されている「伊豆の踊り子」くらいしか知らない者が、他の作品を少しでも読むと驚いてしまうのではないか。川端文学がこんなにもHなものだったとは、と。
しかし、初期の作品から娼婦が描かれ、川端文学の源流であることが分かる。妻や恋人の枠を外れて、不特定の女性たちとの性交渉をモチーフにしているのは一見ふしだらである。それなのに川端文学には後ろめたさが感じられない。それは背景の時代性なのか、温もりに渇望していたということなのか。
「みづうみ」に登場する桃井銀平もまた、なんの罪悪感を抱くことなく欲望のおもむくまま美少女たちに執着する。現代感覚からすれば銀平はストーカーである。ストーカーもまた自分の行為になんら異常性を感じることがないという。こんな己の行為に無反省で病的な性癖を展開する作品はとても読めないという人もいるだろう。けれどその陰湿さが場合によって優しさの視点にもなる。美少女への執心は時には向日的に、時には陰湿に表出される。「伊豆の踊り子」や「掌の小説」にそれが結実される。
モチーフだけを読めばとてもまともではないが、場面転換の仕方がおもしろいし、巧みである。ほとんど気まぐれに転じているように見えるがやがて一点に集約されていく。そしてシュールな妄想描写、十八番の非常に密度の濃い比喩表現にはやはり感服する。この比喩表現技法は現代詩の真骨頂である。それが小説で展開していることがなにやら妙な気分になる。詩は読者そっちのけの巧妙緻密な表現の世界といえる。小説はその対極にあるとまでは言わないが、文体的には分かりやすいものではなかったのか。「悪魔のような天使」私にはそう思われた。
表題になった「みずうみ」は主人公銀平が幼少のころ住んでいた近くにあったもので、たびたび回想される。ストーカー銀平誕生の秘話が読み取れるところである。

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2008年12月24日 (水)

夢を見ずにおやすみ     鷺沢萠

夢を見ずにおやすみ

鷺沢 萠

講談社
1996年1月18日第1刷発行
1300円

初出
「今日も未明に電話は鳴った」「小説現代」1992年6月号
「あなたがいちばん好きなもの」「小説現代」1995年1月号
「夢を見ずにおやすみ」 書き下し

     男のアホな生態を知ればグッスリ眠れるのだ

少しずつ少しずつ、作者は中年に近づいていく・・・。その兆しの見える作品だ。天才少女作家の早熟な渋い正統な文体で書かれたデビュー作(「川べりの道」)。プロになって一転して不良少年少女たちの群像を描くようになり(「ハング・ルース」)、この度、書き下した作品は新たな転進に向かっていくべく、落ち着き、というか早くも倦怠感漂う、けれど人間の心の深みをまさぐった意欲作になっている。
誰でも多少は事件性を持っているのかもしれない高校進学。本名松尾めぐみが公木、そして鷺沢のペンネームを持つ作家に育った3年間の高校生活は、進学の背景になった家庭の事情、そして入学した高校の同齢の驚くべき実態を目の当たりにしながら、たぶん、しっかりとネタとしてしこんだ。その吐露は出尽くし、新たな結婚という事件を通過してこの度の3作品に結果した。
「今日も未明に電話は鳴った」と「夢を見ずにおやすみ」にはまだ、高校進学の衝撃がネタにされているが、この3篇によって家族、高校、結婚の体験を文学的に昇華し、少女から大人(中年)へすっかり脱皮した。最高の傑作は「夢を見ずにおやすみ」だ。あちこち荒い言葉づかいが鼻につくが、基本調子はかなり近代文学の伝統に乗って心情を分析して深みに沈んでいる。
父が頭をなでなでしてもらいに通いつめて相当の金額を注ぎ込んだと思われる銀座のバーのママを訪ねて、意外な展開へと進むのだ。ケンカするわけでなく、友だちになるわけでもない。距離は変わらない。銀座のバーの癒しのシステムに気づいていくのだ。泣きたくなるような非生産的な主婦生活を背中にしょって乗り込んだ亡き父馴染みのバーとママ。それを高く評価するわけではないが男どもの解放されるシステムをそこで理解し、わが結婚生活のあり方も見えてくる。男の生態を理解しようやくわが結婚生活も癒される。それでようやく「夢を見ずに寝られそうだ」なのだ。

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2008年11月 8日 (土)

月刊サギサワ          鷺沢萠

月刊サギサワ

鷺沢萠

講談社(文庫)

1997年10月15日第1刷

390円

1994年10月ハードカバーで刊行されたものの文庫本版

  才気煥発!

文庫の帯に「日記エッセー」と評されていた。いい得て妙。いまだったらさしずめ「ブログの女王」とかいわれていたかも。
「あとがき」で本人自身が言っているように、こんなひどいものが本になっていいのか、ましてや文庫本化とは! というものだが、彼女がアイドルだったということの証左である。内容はあんまり期待できないが、才気煥発な文体はさすがである。よっぽど退屈していたときに目をやるのにいいだろう。若い人ってそんな時ってけっこうあるよね。このジジイ奴には、若いエネルギーが浴びせられて、これはこれで有用なものでした。

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2008年10月31日 (金)

片腕  散りぬるを   川端康成

 

「片腕」を読んで井伏鱒二の「屋根の上のサワン」を思い出した。中学校のときの教科書に載っていた。作家とはかくも深夜を孤独に過ごす人種なのだ。

「サワン」は中学の教科書掲載だから、「健全」な作品ではあるが、少女監禁飼育の寓話ではないかとうがってしまうこのごろの時代であるが、川端の方はまさにスレスレである。

ハイテクな表現力によって誰一人「エロ文学だ」などとはいわない。これが藝術なんだ!

「散りぬるを」は不思議な作品だ。殺人事件が実際にあったように描かれている。事件に身近にいた小説家が、記憶の定かでない加害者に代わって事件の真相を浮き彫りにしようと試みる。

加害者男と被害者の女二人は顔見知りで行きずりの殺人ではない。親しく怨恨など想像できない。想像のできにくい事件を作中の小説家が詳細に検討していく中で明らかになるのはハリウッド映画のようなオチではなく、二人の女の人生なのだ。

冒頭に相当するところで

「狂気の犯罪は正気の犯罪よりも遥かに悪であるという考え方の方が、曇らぬ目である」

この文に躓いて逡巡した。

 その反対ではないのか? 作者の論拠を知りたいと思ったが、なかなか掴めなかった。

正気の犯罪は確信によって引き起こされる。必然か偶然かというと必然である。狂気の犯罪は狂気なるがゆえに偶然である。偶然の殺人ほど残虐なものはない。

 つまりこの文は加害者のスタンスではなく、被害者のスタンスで語っているようだ。

 怨恨などまったくなく、単にいたずらだったものが偶然が重なって二人の女性を殺めてしまう。うっかりだから刑は軽くなるのか、精神の障がいがあったから軽くなるのか、その逆なのだ。

 けれど川端の作品は社会正義や倫理やそして当時流行っていたであろう重々しい実存とは無関係に謎解きのように事件の再構築が進んでいく。どの作品でも複数の女と関係を結ぶことを「不倫」とはあまり思わない雰囲気がある。むしろ娼婦たちやいろんな女性たちと関係することが遊びの一種のように思っているフシがある。ひょっとして西欧の道徳に捕らわれない日本伝統の価値観を川端自身が根深く持っていて、それが彼の文学の特徴を支えているのではないか。

 ダイナミックなドラマの展開や実存に迫るものよりも、人間のひたすらなエネルギーの描写に、それも精緻な描写に向かっている。キリスト教思想に拘束されない文学の現代での実現、それが川端の文学だと感得する。

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2008年9月29日 (月)

片腕     川端康成

片腕

川端康成

     

    孤独な夜の幻想

フェチ・・・というのかな。女性の右片腕を借りてきて自分の部屋で自分の腕と付け替えて一夜を過ごす幻想的な小説だ。
「眠れる美女」もそうだが、起承転結がないのでどこまでも続きそうな物語を終結させるには物語の対象を殺すしかない。
この物語も、ネタバレしてしまうが、女性のふくよかな片腕の脈が事切れそうな暗示で終わる。
極端なことをいってしまうが、日本文化の脈々と続いているように思われる。源氏物語に婚礼だったか儀式を描写した場面が長々と続くところがある。また、黒澤明監督の「乱」など美しい様式にこだわった、絵巻のような映画がある。そして川端の、ダイナミックな物語の展開をそっちのけにして、言葉の表現に入れ込んでいる。エロスを捕らえるために極限的な追究をした描写力に鑑賞者は心服するということになるらしい。
本作品もまた詩である。川端はメッセンジャーとしては、日本の伝統文化の擁護者らしい振る舞いをしているが、じつは表現(レトリック)の前衛、革命家である。
現代詩は読むのに疲れる。言い慣らした慣例的な表現を避け、表現のオリジナリティのみで作品を構築しているから。川端の小説群もまた同様で、ストーリーを追うだけの読書法では物足りないのである。センテンスセンテンス、パラグラフパラグラフをいちいち噛みしめることが川端文学の鑑賞法なので、短編ながら読了するのに時間がかかってしまう。しかも再読を要求する。

「眠れる美女」は彼の豊富な性交渉体験が成した業、と安易な空想に走ってしまいがちだが、「片腕」はもちろんそんな空想ももたげてくるが、それを超越した「幻想」とまでいえる空想力による異界の構築物だ。そして死をもってしないと物語りは締めくくれない。
それにしても孤独だ。たくさんの女性たちと性交渉しても酷く孤独だ。

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2008年9月23日 (火)

眠れる美女    川端康成

眠れる美女

川端康成

        高齢者も欲情する

私の読書は、布団に入って眠くなるまでの束の間の時間にしている。ゆえにそう長くない読書時間なので、読みきるまでが長い。
「眠れる美女」の世界もまた布団に潜り込んでのことなので、パラレルというか同時進行というか、完全な寝物語である。そしてすぐに眠くなってしまう物語なので、読みきるのにだいぶ時間を費やしてしまった。しかも、まだ1篇読んだきりで、これから所収の2編に関わっていかねばならない。それがいつまで続くのか、一冊の本を読了するまでどれくらい時間がかかるか分からず、それまで最初読んだ物語を覚えているのも定かではないので、覚書として「眠れる美女」の感想を書きとめておくことにする。

知り合いの老人から紹介された秘密クラブ。それは海岸近くの小さな家で少女に近い若い女性と一夜を共にするところだ。変わっているのが、その娼婦たちは客が来る前から眠りについていて最後まで目を覚まさない。
客は眠れる女と夜を過ごすのだ。しかもどれも処女である。
なぜそのようなことになっているのかというと、すっかり男の用事を果たさなくなった老人たちのプライドを守るためである。接合や射精だけが性交ではない。女の柔らかい身体に触れながら眠ることこれがどうも性交の本質らしい。

老いても性欲は残っている。この認識は、じつはこの高齢社会において重要なメッセージである。男根が勃起しなくても性欲は枯れないということだ。それならその性欲はどのように処理されるべきなのか、老いらくの恋もいいがそれは滅多にない。若い者たちと同じくどうしても性欲処理の機関が必要ではないか。
1960年代、川端康成61歳代に執筆されたものだが、この問題は2008年の今日ますます重大になっているといえよう。

それはともかく、谷崎潤一郎なら少女と同衾したならあり得るだろう老人の密かないたずらをネットリと描写するところだろうが、川端文学はもう少し乾いていて、いたずらというよりは、風邪などひかないようにとかいがいしく世話をするところがおもしろい。しかも、谷崎ならネットリとしながらもどこか健康な明るさがあるのだが、川端の場合、もう少しストレートで、・・・やっぱり欲情してしまうのだ!

それにしても眠っている娼婦とはおもしろい着想だ。一見、アクションがあまり期待できないところから敬遠される設定である。老人が考えそうなところである。本作品も短編で終わっている。同じ設定で各作家の競作という企画をしてみたらどんな作品群が生まれるだろう。

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2008年8月24日 (日)

家族シネマ        柳美里

家族シネマ

柳美里(ゆう みり)
講談社
1997年1月31日第1刷
1997年3月15日第4刷
1236円

第116回芥川賞受賞

  演劇っぽい展開

10年も経って(現在2008年)ようやく柳の作品を手に取った。自分のマイ・ペースぶりは別に心配していないが、奇妙なことを感じる。作品のことは何一つ知っていなかったということだ。比較するが、鷺沢萠のデビュー作はきわめて古風な趣があった。大学進学に固執していた元セレブなお嬢さんが日本文学史の正統なトレンドに乗って生み出されたもので、以後、作風が模索されるようになっても、基本的にはキチンとした文学作品だった。それであるがためにかえって芥川賞の受賞にはいたらなかったのかもしれない。
それに対して、高校を1年で中退したという柳の作品は特異な表現になっている。読書から博大な知識を積み上げたものではなく、自分の人生から模索されて発生した果実だ。「芥川賞」の照準はそういうものに向けられているようだ。
「家族シネマ」はバタバタした小劇団の芝居の展開を髣髴させる。表題どおり、家族総出演の映画が撮影されようとし、それに巻き込まれた素美だが、引きずられながらもなんとなくビミョーに立ち会ってしまう。「家族」というものの引力の強さを感じさせる。お父さんが一番それへの幻想を抱いているのだが、家族を崩壊させた張本人でもある。お母さんはこんなお父さんのことを「林さん」と呼んで、もはや赤の他人だ。映画を撮る元となったAV女優の妹の存在感が薄いのも至極当然。伏流として登場する彫刻家の深見はベッド代わりにゴムボートに寝ているがこの道具立ても演劇っぽい。年長の男に素美は魅かれるがこれは作者のリアルなところではなかろうか。20~30歳くらい年上の男に惹かれる女って時々いるものだ。危険と安心のあわせもった年齢に見えるのだ。

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2008年7月26日 (土)

マルテの手記     リルケ

マルテの手記

著者:リルケ(ライナー・マリア・リルケ)
訳者:高安国世
出版社:講談社 文庫
発行:昭和46(1971)年11月15日第1刷
   昭和52(1977年)年1月20日第5刷

    レトリックの山

これは詩人のノートであり、詩人や詩の愛好者なら必読の文献である。日本でいうなら明治・大正に存命、活躍した詩人であるが、現代でもここに表現されているレトリックは参考になるはずだ。
都会に見かける通行人の奇行、よそ者にはまるで迷路に紛れ込んだかのような裏小路体験、精一杯身なりを整えて来たはずなのにそれでも見下したような態度をとる医者、これら書き出しの描写は花の都パリに限らず、東京へ上京したばかりの地方人にも思い当たることだろう。私もその点には共有できるものがある。
孤独な時空を経て、アパートにこもって書き綴った統合失調症気味の幻覚的な独白の山。しかしすばらしい比喩の連続には看過できない宝の山ともいえるのだ。
最初の100ページも読めば飽きてくる。あとは本書を常時携行して、数ページを時折り捲ってはリルケの世界を垣間見、堪能する、こんな感じで付き合うのがよろしいのではないだろうか。
本作品は一見すると自叙伝のような趣もあるが、リルケはプラハ生まれのドイツ系の人間であり、登場する一族はデンマークの伯爵家ということになっていて、フィクションである。

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2008年7月16日 (水)

鋼殻のレギオス   雨木シュウスケ

鋼殻のレギオス

雨木シュウスケ
富士見ファンタジア文庫
580円
平成18(2006)年3月25日初版発行
平成20(2008)年5月30日16版発行


     なぜ自分が? 苦悶するヒマさえ与えられない

 未来、人類は自傷行為によって大地を汚染してしまう。猛毒の汚染物質や、それを糧とする汚染獣の襲撃を避けるため、多足歩行する「自律型移動都市(レギオス)」に回避を任せている。そんな都市のひとつが舞台である。

 学園都市ツェルニは学生だけで運営されており、ウザイ?教師や大人は一人も登場しない。主人公のレイフォンが「お父さん」を回想するのみである。彼は孤児院育ち。「天剣授受者」の称号を持つ武芸の達人だ。だが、ツェルニでは正体を隠し、入隊させられた小隊での戦闘訓練では真価を発揮しない。隊長ニーナに激しく詰問される。

「おまえの強さならば、わたしよりももっと大きなことができたのではないのか?」

 ニーナの言葉によって、私たちもレイフォンが精神的に偉大な覚醒を成し遂げることを期待している自身に気づかされる。望んでもいない難題を突きつけられ、自由になりたいのに背負わされた重荷に戸惑うレイフォン。それは私たちの日常となんら変わりがない。アムロや碇シンジの両先輩も自分の意志とは関係なく、唐突に現実から任務を突きつけられてきたはずだ。レイフォンは「なぜ自分が?」と苦悶するヒマさえ与えられてはいないが、戦いは続く。

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2008年7月13日 (日)

千羽鶴     川端康成

千羽鶴・山の音

筑摩書房 現代日本名作選

川端康成

昭和27(1952)年9月25日発行
昭和27年11月5日第3版

200円

   欲情する名作「千羽鶴」

欲情した。エロ小説でないもので欲情したのは源氏物語のマンガ「あさきゆめみし」があったが、「千羽鶴」も負けずに欲情させてくれた。
ストーリーもおもしろい。川端の男女のあり方って現代の節操とは違っているんだろう。源氏物語に通じているところがあるようだ。「千羽鶴」においてもまたしても無節操な、あまりに不倫理な、そして奔放すぎる男女の濡れ場が散りばめられているが、具体的な描写は皆無である。普通の会話のやり取りで読者を欲情させるとは、その文章テクニックがスゴイ!
父は友人の未亡人と関係を結び、息子の菊冶がその未亡人を引き継ぐとは! ちょっと足りないと思われたこの未亡人母娘が、物語の終末に近づくにしたがって意外なほど存在感を増し、未亡人はついに「名品」と評価され、「差し上げるものは一流品でないと」といって未亡人よりいただいた二流半の茶碗を娘文子が菊治のお宅を訪問して割ってしまい、そして自らを絶対の存在に位置づけてしまうのだ。お茶の師匠であるちか子(これも父の愛人となっていた)のような厚かましい毒婦とはまるで違って、遠慮深く、駆け引きもなく、引っ込み思案のはずだった存在がである!。
これは源氏物語の宇治十帖の主人公級の浮舟を髣髴とさせるではないか!
「雪国」「山の音」にもあったが本編でも重複する説明箇所が見られたのは、短編を少しずつ繋いでいく書き方に由来するところがあったようだ。それが気になるといえば気になるが些細だ。
「山の音」「千羽鶴」を「雪国」の延長と定説のようにいわれているがそのわけは分からない。駒子、菊子、文子はそれぞれ芸者、嫁、父の愛人の娘である。この三人に共通するものは女であるということだけなのだ。むしろ島村、信吾、菊冶に共通しているところがあるのだろうか、これもありそうにないのだが・・・。

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2008年7月 7日 (月)

雪国    川端康成

雪国

川端康成

新潮社

新潮社文庫

昭和22(1947)年7月16日発行
昭和42年8月10日51刷改版
昭和45(1970)年9月20日59刷

   「雪国」エロス幻想

おもしろかった。「山の音」が最高傑作なら「雪国」はエンターテインメントの最高傑作だ。「山の音」を映画化すればまかり間違えばただのホームドラマになってしまいそうだが、「雪国」は映画化しても成功するだろう作品である。
びっしりと濃密な象徴的表現が書き込まれて読み進むのに難儀した。また味わった。それを支えたのがストーリーのおもしろさである。温泉地の芸者駒子というエネルギッシュなキャラクターはどんどん話を進めて読者を圧倒する。
島村と駒子との間に随所で成立している性的関係の表現を省略することによって逆説的に高められる官能的イメージ。直裁な愛情の爆裂を意図的にカットすることによって読者を迷わすことなくコースを導いていく。わかりました。ノーベル文学賞候補には始め谷崎潤一郎が挙げられていた。この谷崎を法然とするなら、川端こそ親鸞なのである。そしてやはり賞を逃した三島由紀夫は蓮如といえよう。エロス本願の大河は迸る愛欲の一滴一滴の集合なのだが、凡百の官能小説がこれでもかと過激な表現によってエロス浄土に導かれるものであるなら、ましてそれが隠されているものならかえって求めたくなるもので、読者は間違いなくエロスの浄土に導かれるというわけである。
小説とはストーリーの展開のみを追うのではなく、文章自体をも味わうのだということ、エロスの美を味わうことができた。

1968年ノーベル文学賞受賞

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2008年7月 2日 (水)

山の音  川端康成

      作品の随所にエロスの秘宝が配置されている

鷺沢萠を読み続けていたら急に川端康成を読みたくなった。そればかりではない。志賀直哉の「暗夜行路」が読みたくなった。ついでに「和解」。どれもよんでいない。
鷺沢ばかり読んでいるとどうしても喉が渇いてくるらしい。鷺沢の残す作品を後回しにして手に取ったのが川端康成の「山の音」。
川端は私が学生のころ、ノーベル賞を受賞して話題の人だったが、高校の授業で読んだ「伊豆の踊り子」で満足していた。
たまたま自宅の書棚に並んで目に付いた「山の音」。話題作の「雪国」よりもまず読んでみたかった。「山の音」ってなんだろうと思ったのだった。

長年の憧れの作品を手にして数ページめくってやや後悔の念が湧いてきた。話が進まないのだ。アクションがまったくない。これを映画にすれば、ホームドラマだ。そして、成瀬巳喜男監督の映画を思い出した。原節子が嫁の菊子を演じているが、あのまんまである。
けれどさらに読み進むと、やはり舐めてはいけなかった。相当スゴイ文豪の作品である。ホームドラマの原作程度で終わるものではなかった。
もの覚えの悪くなった老人尾形信吾を取り巻く家庭が舞台だが、家族に対して次第に露出するエロチックな視線描写が並みの文学を超越している。
修一(信吾の息子)が浮気をしていて相手にされない嫁菊子は、はっきりいって視線や気持ちで陵辱されているといっていい。また、子連れで出戻りの娘房子の身体への視線も相当にエロチックだ。
日常生活の描写のところどころに赤や青色の宝石が配置されているように、婉曲的で象徴的なエロス的表現が挿入されており、その秘宝に遭遇するたびに私は胸を高鳴らせてしまった。
「家族はエロスそのものだ」と某評論家がいっていたような気がするが、まさに本書はその文学的結晶といえる。
さて、「山の音」となんだったのだろう。なにかを象徴している音なのか。
山の音とは強風が樹木の枝を揺らす音ではない。山とは安定した家庭。そのどよめき。不気味で恐ろしげではあるが、山はどっしりとして動かない。そんな日常で最も恐ろしいものは何か。死である。老齢による死を目前にして、自分の幹から発生した子どもたちのなんと不安定なことか。自分もまた長年連れ添っている妻保子の姉にいまだに執着しているところがある。静かな晩年には程遠いのである。山から聞こえてきているようで、じつは足元の胎動する響きであったのだ。

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2008年6月 4日 (水)

新参教師   熊谷達也

    新参教師

熊谷達也
徳間書店
1600円
2006年1月31日初版

「問題小説」03年12月号~05年9月号まで2ヵ月おきに掲載、加筆訂正。

    エロすぎる大人もまともな子どもも避けた特殊世界の物語

教育モノ、学園モノはあまり興味がなくめったに読まないが、著者が隣町のような仙台市出身で、仙台の街が描写されていたので手に取ってみた。
学校ってどのように描かれているのか、興味がない、というより避けたいようなテーマであり、けれど同時に覗いてみたいステージだ。
「あんまし、重たくないといいけどなあ」
とかく学園モノとは荒唐無稽か生々しいものという偏見が当方にはある。
エイ!と気合を入れて読んでみた。やはり覗きがまさった。
ところがこの世界、推理仕立て、キャラの絶妙な配備もあって一気に読めた。
おもしろかった!
もちろん、物足りないところがある。なぜか、生徒たちとの絡みがほとんどないのだ。
だから、だから読めたのだろう。やはり作者の勝ちだ!
何がおもしろかったのか。同僚というか、赴任した中学校の職員室の教師どもの描写、学校の不思議な制度、習慣が良く描かれていたのだ。
「この人、よく取材しているけれど、ひょっとして情報提供者に教員がいるのかな」と思えるほどリアルなのだが、反面、学校の主人公ともいうべき生徒たちとの絡みが全然ないのだ。よい子ばかりのクラスをあてがわれたといって巧みに今どきの生徒の描写を避けたのは、情報提供者に10代の子を獲得できなかったからなのだろうか。
おかげで、この小説は「大人向け」になった。たしかに主人公は巨乳好きで風俗に出入りするのでは、子どもに読まれては困るだろう。そういえば掲載雑誌が「問題小説」だった。逆に言えば、そのわりには性描写はおとなしすぎるくらいだ。

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2008年5月31日 (土)

愛しのろくでなし パム・ヒューストン 鷺沢萠訳

愛しのろくでなし(COWBOYS ARE MY WEAKNESS)

Pam Houston
翻訳:鷺沢萠

講談社
1800円
1994年5月31日第一刷発行

ハードなアウトドアと女のグチャグチャ

12編の短編集。鷺沢萠が訳したというので手にとってみたのだが、端から端まで読んでさて、と思ったのが、原作者の姿が見えないことである。
確かに鷺沢の著作物の一つとして手にしたのだが、読み終われば原作者が気になるというものである。ところがどこにもいない。本を手にとってあちこち眺めてみるといた。
「PAM HOUSTON」と表紙に書いてあった。これが作者か。あまり前面に押し出されてはいない。やっぱり有名人の勝ちなのだ。PAM HOUSTONよりも鷺沢で売らないと、ということだろう。けれど全ての作品を読み終われば原作者が気になるものではないか。
ネットでパム・ヒューストンをサーチしてもあまり芳しくない。そこで「PAM HOUSTON」でやり直すと出てきた。英文でだが。けっこう著作物が出ていてファンもそれなりにいる作家のようだ。ただ、AMAZONNでは、鷺沢のこの本書ぐらいしか訳本が出ていない。日本ではまだまだ無名なのだ。

ステージはアメリカの中西部だろうか。カウボーイやラフティングが登場するアウトドアスポーツをやっている男どもがネタになっている。「愛しのろくでなし」とはそんなやつらのことだ。
一人の女に定着できないとか、女よりもスポーツを選んでしまうとか、女にとってこの上なく落ち着けない男どもに、それでも縋っていくしかない女たちのグチャグチャな模様が物語りになっている。

出だしはずいぶん乾いた文体で、書かれた場所を想像して読み進んでいったが、後半からいきなりのめり込んでしまった。
アウトドアっぽい読み物といえば、日本ではどこかオタクっぽいか、ストイックな男たちの独壇場になっている。それが、本書では有り余ったエネルギーのはけ口をスポーツか女か、あるいは両方に注ぎ込む、あまり精神的でない人々で物語が構成されている。いってみれば位相は日常と変わらないところにある。アメリカのアウトドアへの関わりがそうなのだろう。

日本のアウトドア系の読み物と比べてとても異質だが、並べて読まれてもいいほどのハードである。ハードなアウトドアスポーツと日常的な女の心の組み合わせ。おもしろい!

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2006年8月31日 (木)

秘密の花園

秘密の花園
作:フランシス・ホジソン・バーネット
訳:中山知子
少年少女世界文学全集第10巻
学習研究社 600円
1968年12月1日初版発行

   ガーデンの力
「秘密の花園」こんなタイトルを見るといったいどんな物語を想像するだろうか。わたしにはどうしてもミステリーしか思いつかない。子どもたちの密会の場。花園から異空間にテレポテーションして、世にも恐ろしい事件に遭遇し、なんとか解決していく物語・・・。
 小学生の頃からタイトルだけは知っており、気になるものではあったが、実際に物語の世界に侵入していくことはなかった。
 ケイト・メイバリー主演、アニエスカ・ホランド監督の映画を見て、とうとう原作を読む気になってしまった。
 
 子どもを生んでしまったが、遊びに邪魔で仕方がない。召使たちに命じて隔離し存在を忘れてしまいたがった母親がいる。しかし、そのおかげで、疫病からその子だけが助かったのだ。
 母親の愛情を知らず、インド人の召使たちにかしづかれて育ったその子メアリーの性格も栄養状態もいいはずがない。
 そんな少女が単身、イギリスの親戚に引き取られる。驚くことに、その家の子コリンも親に見離され、使用人たちにかしづかれて育って性格も体調もはなはだよくなかった。この時代(19世紀)の金持ちの子育てというのはどうなっているんだという思いになる。子どもが大切にされていなかった時代だったのだろうか?
 2人は、地元の大地で伸び伸びと育った男の子ディコンとともに、花園の自然の力、これを魔法といったが、この力によって心身の健康を培っていく。
 そして、魔法の力(?)によって遠くの地を旅していた父を呼び戻す。
 子ども向けということで、平板な表現が続くが、終局、コリンの懊悩する父親の章段はやたらと感傷的な文章になっている。
 ガーデニングの好きな人にはお勧めということになるだろう。

バーネットは「小公女」「小公子」の著者でもある。

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2006年8月16日 (水)

出世ミミズ アーサー・ビナード

出世ミミズ
アーサー・ビナード

価格520円 (税込み)
文庫: 251ページ
出版社: 集英社 (2006/2/17)

       出世ガイジン

 本書の文章はどれも新鮮だ。ただし辛くいえば外人のくせに日本語が達者だ、というレベルで。覚えたての、日本人からしてみれば死語に近いような語彙なども使われているし、ヘタなオチも付いているものだからそう感じるところもある。小説家リービ英雄ほどこなれてもいない。
  山形弁をたくみに操るダニエル・カールが学生時代には新潟県佐渡ヶ島で民俗芸能を高齢者から苦労して学んだことを話してあげたことがある。アーサーはかなりガッツある表情で聴いていたことを思い出す。そして即興で詠んだ俳句を色紙に筆ペンで書き付け、わたしにくれたのだった。「海鼠」などという読み方も書き方も難しい言葉を入れて。こうしてみると、背後に詩人の奥さんに和文を添削してもらっているとは思えない。
 だから本書は一見、日本語オタクによる奇特な産物のように見える。しかし、奥行きは深く、奥の倉庫にはアメリカ流の文章表現のテクニックがふんだんに待機しているのが感じられる。彼は母国語で書いても優れた作家になれていたのかもしれない。そんな逸材に和文で創作してもらえるのは日本の文化の豊穣を期する意味ではたいへんありがたいことである。

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2006年5月22日 (月)

基礎強化入試現代文

基礎強化入試現代文―偏差値ぐんぐん    大学入試合格V講座
森永 茂 (著)

価格: ¥945 (税込) 
出版社: 学研 (1998/09)

    これで少しは点数上がるかな

新聞も本もさっぱり読まない受験生が現代文を勉強するときに最初に読む参考書。
まず、現代文世界の常識を抽出して要素を教えてくれる。読書していると自然に身につく常識なんだけどね。
次に、試験に取り組むときの常識。問題の解法というより、心構えや常識といったものに近い。「戦術」として述べられていることは基礎の基礎というべきもの。
取り上げられている問題はどれもヤサシメ。2,3時間で本書に目を通し、次のステップにさっさと参ろう。

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2006年5月 5日 (金)

家族を考える30日

家族を考える30日
小浜 逸郎 (著)
価格: ¥1,301 (税込) 
出版社: JICC出版局 ; ISBN: 4796605401 ; (1992/12)

    となりの親父を考えるネタ本
小浜逸郎・・・なんだかあまりかっこよくない。熱狂的なファンにはなれそうにない。でも、彼の取り上げる家族論、等身大で身近なことばかり。参考になりそう、そう感じて読み出すととても素直に読んでいける自分がいた。
めっきり読書力の落ちた昨今。でも1日1章、1ヶ月で読みきることができるだろうと扉を開いたが、1年以上かかってようやくこの連休に読了。そんなつきあいができたということだ。読みたいときにページを開き、しばらくは忘れてしまう。そのかわり、1章ずつ読むたびひとつは考えましたよ。自分なりの家族をイメージしました。
最後の「『となりのトトロ』は家族を救えるか」は家族の絆は不在によっても成り立つことが述べられている。なるほど。彼の論理を青年期みたいにオウム返しにはしない。俺も父親だ。彼の話はネタにしてやる。小浜逸郎・・・なんだかとなりの親父みたいだ。

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2006年3月27日 (月)

底抜けブラックバス大騒動

底抜けブラックバス大騒動
池田 清彦

¥1,260
つり人社

2005年5月1日初版発行

            少しはためになったかな?

 外来種駆除、とくにブラックバス駆除に対する反論の書だと思って読んでみたのだが、感傷的ロマンチシズムで取り組んでいる駆除派をおちょくっているだけのように見受けられた。科学者の余技といえば余技。マンガといえばマンガ。その意味ではおもしろく読めた。ただ、論を張る前提から間違ってるのでは? と疑問を抱かざるを得なかったので、すごく落ち着かない「笑い」であった。
 80年代に「あらゆる原子力開発に反対」を唱えた大勢の知識人たちに対して、たったひとり「それでも科学者の研究意欲まで止めることはできない」「放射能はもともと自然にあったものだ」「汚染が嫌なら汚染物をロケットに積んで宇宙の果てに飛ばしてしまえばいい」など勇気ある発言をした、科学者のはしくれでもあった吉本隆明という思想家がいる。
 「大政翼賛会」という言葉を池田先生が使ったのは、国家権力の傘にある多数派によって少数派をパッシングすることの比喩だったのだろうが、先生の場合は、吉本隆明や戦前戦中の根性のある少数派と違って、釣具で大もうけしている商業主義のお先棒を担いでいるとしか見えないために「比喩」が成り立たず誤解を受ける。
 被害の因果関係が証明がされていない、というスタンスでバス駆除運動を魔女狩り扱いするのは一見かっこいい。けれど、かつて公害病で苦しんでいた人たちはこんな見解で苦しみを倍化させてきたのではなかったか。いまはまだ致命的な被害は出ていないかもしれない。けれどこのような経験を踏まえて危機意識を募らせないわけにはいかないのだ。不自然なこと(攻撃的な外来種の意図的な導入)に肩入れするのはやがて悲劇を招く。
「自然は人間のために準備された倉庫である」という、?な発言をした18世紀ごろの西欧の科学者のテツを踏んでいるようにも思えた。

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2006年2月13日 (月)

椿姫

椿姫  少女世界文学全集24巻目

アレクサンドル・デュマ・フィス
宮内寒弥(みやうちかんや)
偕成社
昭和39年8月25日発行
250円

参考訳:新庄嘉章(しんじょうかしょう)「椿姫」

本文を味わい、最後に「解説」を読んで驚いた。
作者は「モンテ・クリスト伯」「三銃士」の作者アレクサンドル・デュマの息子だったのだ。
母親が裁縫で身を立てる黒人で、7歳になってようやくデュマに実子として認められたという。1850年代前後のことである。

「椿姫」のモデルは実在しており、あまりに卑近な話なので、評判を呼んだけれども、芝居としては上演を許されなかったという。

パリ社交界で人気のあった高級娼婦マルグリットに、その清純な美しさゆえに遊び相手年でなく、恋愛の対象としてみそめてしまう男たちもいた。
マルグリッドは椿が好きで「椿姫」の愛称で呼ばれていた。

弁護士の資格を取得しながらもまだ働かず青春を謳歌していたアルマンがとことん情熱を傾けた。
ときには行き違いもあって心の揺らぐ時はあったが、折れることなくマルグリットを愛し続けた。
しかし、アルマンの父の巧妙な説得によってマルグリットにアルマンを諦めさせた。
二人が再び出会えたのは、マルグリット臨終間際のことだった。

少女向けの読み物として新庄の訳本を宮内が読みやすく手直ししたものが本書だ。
40年間もの間、わが家に置かれていたが、妹が嫁いでいく際、置いていった本書をこのたび気まぐれで手に取ってみた。

二人をいかにすれ違えさせ、いかに引き合わせるか、純粋なのかもしれないが、巧妙なワザを感じさせて素直には喜べないという感じがあった。

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2006年2月 5日 (日)

八犬伝

八犬伝    講談社 青い鳥文庫

滝沢 馬琴 (著), 福田 清人 (翻訳), 百鬼丸(絵)

価格: ¥651 (税込)

新書: 265 p

出版社: 講談社 ; (1990/09)

NHKで、1973年から75年に辻村ジュサブロー製作の人形で放映していた「新八犬伝」がやけに印象に残っていた。ときたま偶然見かけた程度であったが、同じく「人形劇 三国志」もやたら心残りで、こちらは近年、レンタルビデオですっきり全巻見ることができた。
しかし、八犬伝のほうはどうも見ることができないらしい。

今年のお正月、TBSで二夜にわたって「里見八犬伝」を放映した。50周年特別企画ということで、有名タレントをそろえて、力を入れていたが、あのドロドロとした独特の雰囲気は辻村人形にはかなうものではなかった。

荒唐無稽さに渇望している自分を慰めるのはハリポタやナルニアではない。八犬伝でなければならない。この勢いが続けば近いうち「大菩薩峠」に移行するかもしれないし「三国志」かもしれないが、当面は犬だ。

「青い鳥文庫」の犬に手を出したのは、まずはざっと見て、概観を知りたかったからだ。
雰囲気は全然不足だが、それでも、百鬼丸の絵を挿絵にしたのはお手柄というべきだろう。切り絵タッチも十分、辻村に迫る勢いがある。

いくつの頃から犬を知っていたかはおぼろげだが、NHKよりもはるか以前からだった。そしてその頃からの疑問がある。なぜ、犬なのか? 犬は忠実だからか? 白い玉とはなんなのか? 今後の課題である。

名作のあらすじ本が一時流布したが、その次はダイジェスト本になるべきだろう。子ども向けの本がお薦めである。図書館にでも行けば数種、この種の本があると思う。
次はどの犬を手にしようかな・・・。

 

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2006年1月 8日 (日)

ブラックバスがメダカを食う

ブラックバスがメダカを食う 秋月岩魚
宝島社文庫
648円
2001年3月10日発行

わたしは2005年の一年間、ブラックバスという外来種を駆除すべき活動として、「リリースしないで食べよう」という運動を行ってきたが、この種の問題では駆け出しである。行動が先行したが、今後、「駆除派」「擁護派」と呼ばれている人々の著書や資料を読んでいこうと思っている。手始めに読んだのが本書である。

2005年6月に外来種生物法が施行されたので、古くなってしまった箇所もあるが、問題提起書として欠かせない基本書である。

最初は日本の食糧問題の解決策の研究として移植されたブラックバスが近年、アメリカ型の釣りレジャーの対象になって以来、爆発的に国内の湖沼河川に繁殖しだした。そのため在来種の絶滅が危惧され、生態系を保守する立場から猛烈な(必死な)批判が繰り出される。その代表作が本書である。

一ジャーナリストの取り組みとして、かなり多角的に論及しているが孤軍奮闘の限界もみえそうである。けれど逆に個人としてできる最大限の成果が示されているともいえる。

自然豊かなふるさと(山形県)で育った著者がふるさと=日本の自然を愛し、生態系を破壊する外来種に危機感を持ち、ひいては無神経に外来種を移植する「輩」を弾劾する。

捕食性悪食のブラックバスが日本の小魚を壊滅的に食べつくす。
「そんな危険な魚をよくも国内に持ち込み、湖沼のことごとくに密放流をしたものだ、それは自己中心的な、犯罪的な行為である」
こんな憤りが伝わってくる。

「古きよき自然を大切にすること」
この考えに昨今、反対する者はいないだろう。日本のすべての自然が傍若無人な「一般大衆」から荒らされ放題なのは事実だ。
野生の楽園、地元のほんの少数のものしか踏み入らなかった秘密の宝庫がレジャーや商業主義によって踏みにじられている。
著者の取り組みが「こまった頑固親父」レベルで批判されないことを願う。

それにしても「資源の少ない日本」という認識は誰もが持っている。

そもそも、この日本にさまざまな人種が移住し、日本人そのものが外来種であることまでは認識されているのだろうか。

移住とともに持ち込まれた生物、植物もある。日本犬とはいったいいつごろからのものをいうのか。大陸犬の混血をして日本犬といっているのだ。
日本人の魂であるお米もまた外来種である。冬の野菜としてなくてはならない白菜は明治に中国から移植されたものだ。

原料を輸入し加工して製品化するのが日本人の生き方である。経済水域を獲得するために岩礁をコンクリートで固めたものを島といってはばからない「東京都小笠原村沖ノ鳥島 」・・・。
もはや日本列島そのものが人工島といっておかしくはない。古代の原風景からすればかなり自然の風景も変わってきており、それを生きるために受け入れもしてきたのが日本人である。
移住、移植によってじつは日本という国は発生し成り立ってきた。

イワナやヤマメよりもブラックバスのほうが繁殖力旺盛なのであれば、近い将来の食糧危機に備えて移植保存しておくのもひょっとして悪いことではない、といえなくもないのではないか?

外来種駆除運動はまさに尊皇攘夷のごとし。幕末の志士のような純粋ながら激しい使命感で世直しを図ろうとする、その意気やよしとするも、さらなる視野の拡大を外来種問題においても望みたい。

ワニやピラニア、毒蜘蛛などはもちろん論を待たずに拡大は阻止しなければならないが、ブラックバスを同種と見るか、違うものなのか、よく見極めなければならないだろう。
間近に見れば、楽しみを与えてくれる楽しい魚。ちょっと視野を広げれば生態系破壊の魔魚。けれどもっと視野を拡大してみれば・・・どうなるのだろう?
尊皇攘夷の志士たちも維新以後は文明開化に180度、路線を変えたではないか。

 

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2005年12月28日 (水)

セックスボランティア

河合香織

新潮社 2004年6月30日発行

「冗談で言ってたのがほんとにアリかよ」
こんな言葉がつぶやかれそうなタイトルであるが、ぼくらには
「しまったぁ、先を越されたか」
こんな言葉が交わされたのだった。
健常者にとっても性の問題は大きいのだから、障がい者にとっても等しく大きい問題である。
性欲は誰にだってある。性欲を解決できる相手がいれば相談しあえばいい。相手がいなければ自家発電するか、性欲処理産業に任せればいい。
障がい者だって同じことをする。
ぼくもこの本の登場人物のように処理産業まで伴っていったこともあるし、ひとり深夜、ホテルの外に出てことが済むまで待っていたこともある。
しかし、さすがに自家発電のお手伝いはどちらも拒否したものだ。
この本では、ぼくのようなお人好しの個人的なボランティアを越えて、組織的に有償ボランティアとして障がい者の悩みに応えようと取り組んでいる国内、国外の団体に取材が及んでいる。
性の問題はタブーの壁の厚いものである。しかし、なす術もなく日夜暴発させるしかなく虚しい思いにかられている人たちがいるのも現実である。ボランティアの心はきっとこの問題にも立ち向かうだろう。その狼煙として本書を手に取ることをお薦めする。
私たちは、回し読みなど不潔なことをしないで各自購入した。

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2005年8月20日 (土)

「哲学のモノサシ」

「哲学のモノサシ」西研・著 川村易・絵
NHK出版 1996年5月20日第1刷
1456円+税
 
「ソフィーの世界」(ヨースタイン・ゴルデル著)が日本では1996年に翻訳出版され話題になった。その流れにある分かりやすい哲学入門書。
わたしたちは生きていく上で判断基準(モノサシ)になるものを必要とする。そのひとつが「哲学」である。と宣言して、入門書にありがちな哲学史の解説に終始することなく、読者の抱える現在の悩みや疑問に答えようとする姿勢がある。
川村の絵は、著述の単なる添え物ではなく、図解を担っているものでもない。西の構想からインスピレーションを得て創造したもので対等な競演関係にあって楽しめる。
これまでさまざまな哲学入門書を手にとってみたが、最後まで読めた哲学入門書は少ない。しかし、それは内容が浅い、ということではない。読後感は「ためになった」「勉強になった」というより「刺激になった」という感じだ。つまり、随所で著者から読者へ問題提起がなされ、挑戦意欲にかきたてられたのだ。

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2005年8月10日 (水)

街の眺め

街の眺め

内海隆一郎

毎日新聞社 1990年発行 

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167553015/ref=pd_rhf_p_1/250-2908902-9836248

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4620104051/ref=pd_rhf_p_2/250-2908902-9836248

   つかのま善良な人になりたい人のために

週末は穏やかに過ごしたい。激しい平日の労働を忘れたい。ゆっくり新聞を眺めたい。そんなことを誰もが思う。それにふさわしい小説集だ。400字詰め原稿用紙3枚半の作品が70編収録されている。平日の疲れを取る意味では大長編小説に挑むよりも、祈りのように小片な作品がいい。どれもほとんどがちょっとくたびれた優しいお父さんが主人公だが、その家族も主人公になっている。たいがいが平凡な日常を送っており、小さな事件が勃発し巻き込まれる。たいがいは善良な人の気遣いが描かれている。日曜日くらいは善人でありたいという人で、教会とかに行くこともない人は、この掌編集の1編でも読んで祈りの代わりにしたらいかがだろう。ただ、わたしは毎晩、寝る前に1編ずつ読んだのだが。

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